2015年4月1日水曜日

正しさという偏見



毎度毎度の こちら より。

会社や学校、地域社会、宗教、
そして様々な集団の中でこのような偏見が
正しいことと認識されています。

特に顕著に現れているのが宗教です。

今も争っている
「 イスラム教 」 「 ユダヤ教 」 「 キリスト教 」 などを
見るとよく分かると思います。

信じていることはその宗教でしか通用しないこと
だったり、その地域だけでしか通用しないことが
多いと思います。

ところ変われば生き方も変わるように、
人々の考え方も変わります。

地球に住んでいる限りは、このような常識的
しきたりというものは付きものですから、
仕方がないといえば仕方がないのかもしれません。

でも宇宙真理に目覚めるということは、
このような偏見をも克服し、本来のあり方を
見出すのが目的です。

何事にも縛られない生き方こそ
本来の自由であり、人間一人一人に
与えられたものです。

この自由を取り戻すためにも
真理を理解するということはとても大切なことだと
思います。

多くの人が目に見えない偏見に囚われています。
目に見えないというのは、自覚がないという意味です。
別の言い方をすれば 「 盲目状態 」 です。

真理を知らないというのは、「 盲目 」 の状態だからです。
だから悟った人を 「 覚醒した人 」 と 「 覚者 」 という言い方を
するのです。 目覚めるのです。

中略

本当の正しさとは、全てにおいて見る目を
養うことであり何かを盲目的に信じることでは
ありません。

正しいとか正しくないとか言っているようでは、
本当の真理を理解していないことと同じです。

全ては事象であり、正しいも正しくないもなく、
摂理の中で結果として現れたものに過ぎないことを
理解するべきです。

人間が創りだした約束事ほど、未熟なものはありません。
宇宙の法に従えば、約束事など要らないものです。

しかし約束事がないと生きていけないことに、未熟さが
あるということです。

以上、引用終了。

( 画像お借りしました )

何物にも囚われないということは
自分を解放してあげること?
それができるのは自分自身だけってこと?


0 件のコメント:

コメントを投稿