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2014年11月18日火曜日

夜明けの星 4



冬のある日、一枚のはがきが届いた。
有志からなる 「 その人 」 の葬儀を、滞りなく済ませた
との内容。 突然の通知であった。

始まった時から大凡の察しはついていたが
それは思ったより早くそして、あっけなく訪れた。
新年のご挨拶状を頂いたばかりだったのに。

喪失感? 自分を納得させる言葉が見つからなかった。

混乱しながら、急いでお花の手配をした。
数日後、有志のおひとりの謙次郎さんから連絡があり
改めてご報告とお礼の言葉を頂いた。

その言葉に返答しようにも、涙で声が上手く出ず
「 どうぞ、お花を飾って差し上げて下さい 」
と伝えるのが精いっぱい。

そして、再び来ないであろうその電話を切った。



七蔵さんの長い人生からしたら、私との接点など
ほんの一コマにすぎなかったであろうが、どう思って
お付き合い下さったのだろう。 今となっては知る由もない。

偶然から始まった七蔵さんとご縁ではあったが
ハンセン病や療養所の実体、国政、法や制度など
世の中の矛盾に気づくきっかけをくれた。

 「 出会い 」 とはつくづく不思議なものだ。

今頃はあちらの世界でご両親とも再会し、笑顔でおられる
ことを想いながら、どうしようもないけれど愛おしいこの世界で
もう少し頑張ろうと思った。

今生のお勤めとやらを ・・・ 。

- 終わり -


2014年11月17日月曜日

夜明けの星 3



ある時ふと思い立ち、娘の写真を送ってみた。
彼女が映るその写真を見て、口元が綻ばない人がいるのだろうか?
と思う程、フレームいっぱいの満面の笑み(笑)

「 その人 」 を微笑ませるには? きっと笑ってくれるに違いない!
その一心だったが、自分自身の写真を送らなかったのは
やはりどこか構えていたのかもしれない。

お返しに。と、祖母の幼馴染が映るお写真を送って下さった。
数少ない貴重なお写真を数枚、惜しげもなく。
そう、「 その人 」 は、祖母の幼馴染の弟君だったのだ。

そんな貴重な品を頂戴するわけにもいかず
コピーして丁寧にお返しし、祖母が懐かしがっていた旨
伝えた。

祖母は祖母で、幼馴染の家はココで、ウチはココ。
道がこう通っていて ・・・ と、次から次へと記憶を遡り出した。
お喋りな祖母が一層饒舌に、昔の記憶はずっと色褪せないのだろう。

写真: 夏山
( 画像お借り致しました )

つづく。

2014年11月14日金曜日

夜明けの星 2



岡山の愛生園で暮らしていた 「 その人 」 は、七蔵さん。
国の誤ったハンセン病隔離政策により、そこでの生活を
余儀なくされた。 年齢は 80 を超えていたと記憶する。

国立ハンセン病療養所。
「 療養 」 とは名ばかりのこの施設は、全国に約 13 施設。
大半の方がこの療養所で一生を過ごす。

施設内では、婚姻が許され夫婦生活を営むことができた。
が、結婚はできても子を授かることは許されず、堕胎や断種を
拒否する権利はなかった。

極々弱いウイルスが原因のハンセン病。 簡単なワクチンで
完治するにもかかわらず常軌を逸した政策だった。
諸外国はいち早く法整備に乗り出していたのにもかかわらず。

国内では 1996 年、ようやく国が過ちを認め 「 らい予防法 」 を
廃止。 90 年目にしてやっと法改正されたが、非隔離者の暗く長い
歳月を思うと、筆舌に尽くしがたい。

その後、故郷での再出発を願い戻っても、そこでのコミュニティーは
とうに断ち切られ偏見も残り、悲願であった 「 普通 」 の暮らしを
諦め、施設に戻られた方も多いと聞いた。


( 画像お借り致しました )

つづく。


2014年11月13日木曜日

夜明けの星 1



見覚えのある山がテレビ画面に映った。
それは祖母の生家の裏山。 通称 「 男神 」
その年、「 その人 」 は両親の墓参りに赴くという。

「 普通 」 の人からしたら、別段変わった光景ではないのかも
しれない。 けれど、「 その人 」 にとっては数十年ぶり。
あらゆる制約が解けたからこそ実現した。

何かに駆り立てられるように、テレビ局に問い合わせ
それから、季節のお便り交換が始まった。

「 その人 」 は 「 暁星 」 というペンネームで俳句を詠まれていた。
掲載された同人誌には、今生の悲しみを歌ったものが多かったが
いただくハガキには、優しい言葉が綴られていた。


( 画像 こちら からお借り致しました )

つづく。