いつも納得の こちら より。
以下、引用。
ラベルはどうでもよいのです。
形式はどうでもよいのです。
大切なのは 「 行い 」 です。
「 行為 」 です。
つまり各自の毎日の 「生活 」 そのものです。
私は因果律という絶対的な摂理を説きます。
つまり誰一人としてその神の摂理の裏をかくことは
出来ないのです。
ごまかすことは出来ないのです。
自分が自分の救い主であり、贖 ( あがな ) い主であり
ごまかすことは出来ないのです。
自分が自分の救い主であり、贖 ( あがな ) い主であり
自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も
自分が受け取ると説くのです。
また神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると
また神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると
説きます。
すなわち親切 ・ 寛容 ・ 同情 ・ 奉仕のの行為が
自動的に相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に
利己主義 ・ 罪悪 ・ 不寛容の精神は、自動的に霊性を下げます。
すなわち親切 ・ 寛容 ・ 同情 ・ 奉仕のの行為が
自動的に相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に
利己主義 ・ 罪悪 ・ 不寛容の精神は、自動的に霊性を下げます。
この法則は変えようにも変えられないのです。
みっともない執行猶予も安価な赦免もありません。
神の公正が全宇宙に行き渡っております。
霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。
死の床での悔い改めも通用しません。
(シルバーバーチ)
神の公正は完璧です。
どんなに隠そうが、着飾ろうが、全てお見通しです。
自分が今まで行ってきたこと全てに、公正に働きます。
すべての報いと罰は、自分がやってきたことに起因し
謝ろうと泣き叫ぼうと償わねばなりません。
そして愛のある行動には、それ相応の報酬が得られ
そして愛のある行動には、それ相応の報酬が得られ
自尊心による利己主義にはそれなりの罰が与えられます。
愛のある行動は霊性を進化させ、逆に自己主義は
愛のある行動は霊性を進化させ、逆に自己主義は
霊性を下げます。
死ぬ間際に悔い改めても手遅れです。
毎日の生活こそが大切であり
愛に基づいた行動をしていれば、必ずその報酬を
得ることが出来るでしょう。
目先の利益に翻弄され我を失うような、醜い行動は
慎むべきです。
それよりも思いやりを持って、優しく、寛大で、
それよりも思いやりを持って、優しく、寛大で、
人の為に何が出来るかを考えることです。
小さなことでも良いのです。
人のために自分の能力を活かすことです。
これこそが人として生きる道であり、より神に近づく
小さなことでも良いのです。
人のために自分の能力を活かすことです。
これこそが人として生きる道であり、より神に近づく
最大の行為です。
以上、引用終了。
「 自分が自分の救い主であり、贖 ( あがな ) い主であり
自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も
自分が受け取ると説くのです。」
またまた先人の 「 因果応報 」 ってコトね。
神がお見通しというより、全て自分がしてきたこと。
なにより誰よりも自分が一番よく知っている。
自分に嘘はつけないし。
偽り続けると、カラダにその病相が出るし。
無宗教ニンゲンだけど毎度シックリくる。
なんだかんだ言っても、八百万の神ってスキ ~ ❤日本人なのね(笑)
( 画像お借りしました )
0 件のコメント:
コメントを投稿